私が20歳のとき影響を受けたルポライターの竹中労の著作を手にとって、改めて「ハングリー・ジャーナリズム」のワードを目にしたのは比較的最近のことである。
研ぎ澄ました目を持続するには満ち足りた状態ではいけない。ハングリーでなければならないという意味が内包されていると感じる。
特にこの仕事をしていて感じるのは、最も大事なことは「信念」であるということだ。
職業論理上、その方向性は必然的に「反権力」となる。
権力を監視する犬、ウォッチ・ドッグといわれるゆえんである。
もちろん世の中にはこれと逆のイヌもたくさんいて、権力と癒着し、プロパガンダをやっていれば食うに困らないという一群も確かに存在する。
この場合の信念は、最初からはなはだ「志が低い」ということになる。
事実上、「信念」だけで生きている者からすると、政治家のなかで信念のない者をみると苛立つのは職業病ともいえる。
特に、庶民の側に立つなどと標榜しながら、実際はその逆の行動をしているような輩を見るときだ。
ジャーナリズムはハングリーでなければ機能しない。一般論としてそれは言えると思う。

