本日付の新聞に昨日大分市で村山富市元首相のお別れ会が開かれたことが報じられている。
村山元首相は1994年、自民党が政権復帰する際に担ぎ上げられた社会党首班政権の首相だった。在任期間はわずか1年半の短い期間だったが、このわずかな期間で社会党らしい政策を次々に成立させた事実は、いまとなっては感慨深い。自民党単独政権だったら、絶対に実現できなかったような政策が次々に実行されたからだ。
日本のアジア侵略を認め謝罪した1995年8月の村山首相談話はその最たるものであったし、同年暮れの人種差別撤廃条約の批准もその典型だった。さらに被爆者援護法の制定、水俣病被害者の救済、慰安婦のための平和国民基金、アイヌ新法制定への軌道づくりなど、わずか1年半でこれだけのことができた背景には、私は時の官房長官であった五十嵐広三氏の隠れた功績があったものと見ている。
可能性が高いわけではないが、仮に公明党首班政権ができた場合も、官房長官に優れた人物を置くことが必要と考えるのはそうした取材経験があるからだ。
例えわずかな期間であったとしても、公明党らしい政策を実現することは可能だ。
第一に核兵器禁止条約の批准だ。さらに選択的夫婦別姓の成立なども、石破政権時代からの懸案課題そのものだ。政府系ファンド(ジャパン・ファンド)の創設も優先的な実現課題となる。ついでに野蛮な死刑制度も廃止してほしい。
政党を名乗る以上は、首相ポストを得て、自らの政策課題を果敢に実現することこそが王道だろう。逆にその気概がなければ、何のための政党かわからなくなる。

