自民党大会に自衛隊女性隊員を制服姿で登場させ君が代斉唱させた問題を取り上げていたら、そんな問題ではなく沖縄の辺野古事故で高校生が亡くなった件を取り上げろという声が複数寄せられた。
平和運動やサヨクを叩きたいいわゆるネトウヨ階層からの訴えだが、私は今回の辺野古ボート事故の問題は、半分以上は当該私立高校の安全配慮義務違反の問題と考えている。
学校の責任が8で、平和運動そのものに問題があるわけではない。
だがここぞとばかりに叩きたがるのは、ネトウヨのネトウヨたるゆえんである。
本日付産経によると、この高校が辺野古を修学旅行のプログラムに入れたのは「2015(平成27)年ごろから」と指摘している。
その意味ではすでに10年たっているわけで、マンネリ化し、安全配慮意識もなきに等しくなっていたのだろう。その証拠にボート転覆時、教員はボートにだれも乗船していない。
本日付産経の見所は、沖縄の平和運動が「沖縄戦」から始まったことを指摘していることだ。
先の太平洋戦争で、日本本土の「捨て石」とされた沖縄は、国土の地形が変形するほどに爆撃され、現在のガザ同様の姿となった。
より重要なことは、旧日本軍が住民の安全を守らなかったばかりか、久米島などでは日本軍が住民を虐殺した史実が残されたことだ。
中国の地で行った旧日本軍の蛮行は当然許されないことだが、これは国外のことなので「知らぬ存ぜぬ」を決め込む余地が生じる。だが、沖縄はいまも日本の国土だ。
住民の中に、被害の記憶は継続して残されている。
そのような土台のもとに、沖縄の平和運動がなされているとなれば、その根源をたどれば、原因は大日本帝国にある。現高市政府はその大日本帝国にシンパシーを抱き、同様の国に変えようと一生懸命だ。
ただしネトウヨは上記のような多面的な歴史観には立たない。
歴史というものをどう捉えるか。日本人の教育力の向上を問われている。

