かつては日本の極右勢力にすぎなかった「日本会議」主導の政治が定着したのは安倍政権から。その後、菅、岸田内閣でもそれらが踏襲され、石破内閣でもその影響を止めることはできなかった。

その後につづく高市内閣は、安倍型政治の「復活」を意味する。

旧日本軍の復活を鮮明にするかのような自衛隊内の階級呼称の復活、軍事費拡大、武器全面輸出解禁をはじめ、治安立法の強化、「明治の日」復活、外国人排斥の明確な意思と政策、さらに皇室を私物化するかのような方針、加えて原発維持も顕著な特徴の一つだろう。

いずれもかつての「明治日本」を回顧する日本会議の政治志向と軌を一にする。

この中にあって野党第一党の役割は、それらの政治に明確なアンチテーゼを示し、国民世論に近いテーマについてはひるまず世論側に就くべきだが、そこが明確に見えないのが現状の姿に思える。

自民党政治のくびきを断ち切ることができないでいる公明党と、政権を降りたあと野党一本鎗で来た立憲勢力とのせめぎ合いや衝突の跡も見受けられる。

振り返れば、長年つづいた自民党政治に“新しい風”を吹き込む政権と最初に期待されたのは1993年の細川連立政権が記憶に残る。

この政権自体はすぐに瓦解したが、それでも情報公開法など、自民党政治では決して行えない重要課題を政治スケジュールに乗せ、後に成立に結びつける原動力となった。

中道改革連合に時代を先取りするような明確な志向性はあるのか。やはり自民党政治とは明らかに異なるという姿が国民の目に明らかにならない限り、2年後の参院選では悲惨な結果になりかねない。

立てるべき部分にはエッジを立てるということに尽きるのではないか。その意味で政策はむしろ立憲側に寄せるべきなのだ。

\ 最新情報をチェック /