琉球新報を沖縄本社から空輸してもらっている。きちんと確実に紙面をフォローしているわけではないが、16日付の「中道混迷 沖縄3氏に冷ややか」という記事を読んだ。
9月の沖縄県知事選をめぐり、立憲は現職の玉城デニーを支援し、公明は保守系新人の古謝玄太元那覇副市長を支援する「方向」とこれまで報じられている。
股裂きとなった中道改革連合はそのため党としての方針を決めていない。
これに対し、同党の沖縄の各総支部長(小選挙区予定候補)の3人が玉城支持を表明したことで、中道内部から「フライング」と批判する旨が記事に盛り込まれている。
さらに「党の方針と異なるなら離党してもらった方が、かえって党本部として沖縄に関わりやすい」と発言した中道関係者のコメントも記載されている。
異論を排除する安易な姿勢だが、この沖縄の問題は政党の理念と密接に関わり、その政党の「本質」を浮き彫りにしてしまう。
中道本体が明確な方針を示さないため、現場の責任者らが自らの政治姿勢を明らかにした。
それに対し、中央の方針に従わなければ離党しろという本土からのこの姿勢こそ、本土と沖縄の100数十年の関係を象徴する姿勢だろう。
中道は「包摂の政党」をキャッチフレーズに船出したが、現実はこのようなものだ。
「包摂」でなく、「排除」を旨とする政党は必ず劣化する。近年の日本共産党を見ていれば、その法則は明白だろう。

