ジャーナリストは最初に“異変”を感じることのできる職業といえる。
当事者に取材し、その業界や世界の現場に身を接し、物事を考える過程を含む立場であるからだ。
その意味では炭坑内の事故を最初に感じ取る「炭鉱のカナリヤ」と同じ役割を負っている側面がある。
多種多様なジャーナリストが自在に発信できる社会は、まだまともだ。
一方で、権力から完全に封じ込まれた状態で、言いたいことを言うと弾圧されたり、牢屋に入れられる世界は、典型的な非民主主義型社会だ。
日本もかつては社会全体でそういう時代があったが、戦後80年以上、いちおうは民主主義国家の体裁を保ってきた。
それでも日本がいつ元の状況に戻るかはわからない。つねに両者のせめぎ合いの結果が、「現在」に過ぎないからだ。
「破壊は一瞬、建設は死闘」とは、ある団体ではよく耳にしてきた言葉ではあるが、上記の例にもそのまま当てはまる。
私は現在の国政公明党がいかに劣化した状態に置かれているか、その現実を伝えようとしている数少ないジャーナリストの一人と思われるが、それは言うまでもなく「公益」のためである。
なぜならジャーナリストの役割と使命は常に“炭鉱のカナリヤ”であると信じるからだ。

