公明党は1964(昭和39)年の池田会長の時代に結党されたので党創設者は同会長とされている。ただし教団が政治進出する決断を下したのは第2代戸田会長の時代だ。
その意味で公明党を結実させたのは、戸田・池田の師弟関係による協働作業であり、戸田が構想し、池田が実現させた多くの業績のうちの一つと考えられる。
実際、公明党の「公明」を最初に使ったのは戸田会長であり、将来、国会に「公明会」という会派をつくるように提案したのは戸田会長だ。その意味で、同党の原点はむしろ戸田2代会長に戻るほうが適切と見られる。
同会長の特徴あるキーワードとして「政治は技術である」や「国家百年の大計を政治に具現すべき」「青年は心して政治を監視せよ」「公明選挙を推進する」などが知られる。
昨日政党登録された中道改革連合(略して「中道」)は公明党が呼びかけたという形になっており、綱領原案は同党側でたたき台を作るようだ。さらに基本政策について、安保法制や原発再稼働を踏み絵にして、立憲民主の左派を排除する意図があるとの報道がある。
だがこの行動はいただけない。新党は綱領の「第3の柱」に「選択肢と可能性を広げる包摂社会の実現」と謳っており、その原理にそぐわないと見られるからだ。、
さらに「生活者ファースト」を掲げた新党の立場からすると、地元福島に戻れない生活者がいまだ数万人規模にのぼる事態を考えたとき、「原発に依存しない社会をめざす」考え方はごく当然の志向だ。これこそが戸田会長が口にした「国家百年の大計」というべきものだろう。
本日付産経によると、立憲の安住幹事長は「100、200とある政策のうちの1つや2つの差はあるでしょう。全然乗り越えられる」と語っているが、それが人間として自然な状態と感じる。
多様性こそ力だ。その意味で、昨日の党名発表会見において5人の壇上幹部がすべて男性だったことに疑問の声が寄せられているのは、当然のことだ。まだスタート地点なので評価は下せないが、この点は立憲の党風に従って改善されていくものと期待している。

