かつて戦後のまもない時期、資本主義と社会主義の思想的対立が最大争点となってきた時代がある。その後の「歴史経過」という“事実上の実験”によって、社会主義は敗北したことになっている。
一時期は「世界人口の半分以上をしめる」(日本共産党・1961年綱領)と誇っていた社会主義勢力だったが、いまではその主義を保つ国は1ケタにすぎない。
だが本来の対決は、人間が先か制度が先かで立てられるべきものだった。要するに変革の優先対象は何かということに尽きる。
資本主義であろうと社会主義であろうと、人間という本質は何も変化しない。欲望にまみれ、善意の心をもち、家族には優しい。そうした矛盾する人間生命を向上させることはそれらの主義ではできなかったということだ。
一方、人間の内面に焦点をしぼるとそれは宗教の領域となる。人間生命の向上を実際にいまも「実験」し続けているのは、私の知る限り、それは創価学会の思想運動が最も有名だ。
教団の思想内容は大乗仏教であり、日本で生まれ育った日蓮仏法である。
戦後、同教団はそうした志向性のもとで早くから活動開始していたが、冒頭のような対立構造に埋もれ、本来の主張は埋没していたのかもしれない。だが時代は変わった。
人間の中身が変わらない限り、社会は変わらない。なぜなら政治を司る主体は人間にほかならないからだ。
日本ではあまり知られていないが、日蓮仏法の信徒はすでに世界の至るところに存在する。彼らは青い目をして、黒い肌をして、なぜ「南無法蓮華経」と唱えるのだろうか。
私の余命にそれを探究する時間は残されていないが、これは世界同時規模の宗教革命運動であり、後世のため活字に残しておくべき重要な事柄と感じている。

