極真空手全体を深く取材しているわけではないが、創設者の大山倍達総裁の死後、同空手流派が大規模な集合離散を繰り返したことは、多くの人が知っている。

それぞれの分かれた流派で方向性を含めて枝分かれし、各自の個性みたいなものが生まれているのも必然的なことだろう。

私がお世話になってきた流派では、もともと意拳という中国拳法を修業方法に取り入れていたこともあり、さらには最近は沖縄空手(具体的には心道流)の影響も感じられる。

さまざまな変革がなされているように思える。

心道流といえば、流祖は沖縄出身の空手家・座波仁吉が知られるが、その弟子の世代でさまざま枝分かれし、同じく心道流といっても、いまでは複数の個性の流れが生じていることは、上記の極真空手の傾向と変わらない。

私はこの流派を、明治・大正時代の沖縄空手を保存した珍しい本土流派と捉えているのだが、標榜するのは武術空手だ。もともと武術空手とスポーツ空手は対極的な概念である。

スポーツ空手は試合を前提に稽古体系を組み立てる傾向にあることが特徴だ。

一方で武術空手は「自分の身を護る」という沖縄発祥における目的と合致する。要するに護身のための空手であり、上記のスポーツ志向とはさまざまな点で違いを生じることになる。

たとえスポーツ志向であれ、武術志向であれ、いざというときに自分の身を護れないような空手では、空手の意味は薄れる。

先日、米国球界で活躍した田口壮選手のNHK番組をたまたま観ていたら、「お前は日本人だから空手ができるだろう」と、チームメイトから危険な役割を与えられていたような話があった。

アメリカでも「日本人といえば空手」という結び付け方をされることは非常に多いようだ。

世界に広がった日本が誇るべき伝統であり文化でもある空手――。

その発祥をたどれば実際は日本と中国の合作であり、特に中国の福建地域との関わりが深い。

その点で中国のトップが福建地域と関わりの深い人物であるので、この文化が日中の平和と友好に寄与する機会がないか、個人的には願望している面がある。

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