政党としての長年の立ち位置(与党と野党)も、成り立ちも、背景も異なる。それでいて政策は近い関係にある2つの政党が合流した際、「化学反応」というワードを用いて説明したのは私の知る範囲では中道の政策発表記者会見の際の岡本共同政調会長(現在の政調会長)だった。
総選挙前のあわただしい中で行われた政策のすり合わせだったが、やはり「踏み絵」に用いられた安保法制、原発ゼロ、さらに沖縄の辺野古問題については、票を増やす効果には結びつかなかったと私は考えている。
なぜなら立憲側の支持者に落胆効果をもたらし、“立憲ハガシ”の結果を生んでしまったと思えるからだ。
一方で公明支持者による支援はどちらになったとしても大差はなかったはずである。
より原点に戻れば、原発の再稼働を容認する姿勢が、本当に中道が掲げるべき政策であったかは疑問が残る。
確かにあの時点ではあわよくば自民党の議席を凌駕して政権を奪ってしまえとの思惑や勢いが感じられたことは事実だ。その前提のもと、実際に与党として政権を動かす場合、旧立憲がこだわる頑なな「原発ゼロ」では政権運営に支障が生じると考えた発想は理解できる。
だがそもそもは公明党ですら、過去には「原発ゼロ」の公約を掲げたことがある問題だ。その主張を隠してまるで自民党と大差ない政策をアピールすることが得策であったかという疑問がついて離れない。
まして核廃棄物の処理問題は原発開始時から一貫して解決されておらず、万単位の故郷に帰還できない原発被害者を抱えるこの国で、原発推進するかのような姿勢を野党第1党がとる政治的効果は、政治に劣化をもたらすとしか私には思えない。
この局面で中道がなすべきことは、自民党と異なるオルタナティブな道を示し、構想することであり、その練り上げた政策群を、与党に転じた際にプログラム的に即座に実行に移せるだけの十分な準備をすることではなかろうか。
それは原発、辺野古、さらに少子化対策、教育の抜本変革など、各分野にわたる。
ある分野においては、むしろ立憲側の政策に公明側の政策を「寄せる」ことが必要だと思う。

