人間は絶頂期にあるほど足元を掬われるという鉄則はやはり健在だ。
昨日櫻井よしこの主宰するインターネット番組「言論テレビ」の花田紀凱が聞き手を務める番組で、門田隆将こと門脇護が「週刊新潮の70年」について語った。
この2人の取り合わせが何を意味するかは、いずれも大きな誤報で会社にいられなくなった、あるいは嘱望された編集長の椅子に座れずやむなく社外に飛び出したという“傷もの”の経歴で共通することだ。
その2人が業界内のニッチな分野で手を結び(いまではニッチでなくなった)、傷を舐め合い、互いに自己正当化に邁進するといういつもながらの構図にほかならない。
門田は新潮社入社の経緯、「週刊新潮」編集部で自身がいかに優秀とされてきたかなどを自画自賛し、花田は聞き手としてへりくだった態度に終始した。
というのも、門田がバックアップしてつくりだした高市早苗政権のいまが「絶頂期」であり、その後ろ盾とされた(いまはそうではないかもしれない)人物に編集者として愛嬌を見せる必要があったのだろう。これでは「お座敷芸者」と変わるところがない。
ともあれ、門田こと門脇は自らのスクープ記事の内容を問われ、その一つとして、30年前に自ら手掛けた「虚構の性被害手記」信平狂言手記を挙げた。
この人物の内面が「記録」として表面化するよい機会だ。
思い上がった人間はどこまで舞い上がる。このまま突き進んで行ってほしいものだ。

