学生時代、私が初めて接したフリーの物書きはルポライターの竹中労だった。いわば最初に影響を受けた書き手といってよいが、同氏が書いた『ルポライター事始』(みき書房、ちくま文庫)を開くと、この年齢になって初めて実感できることが多々ある。
特にその思いは「序章」に色濃く表れており、フリーの物書きというものは、所詮は娼婦・やくざ・泥棒と変わるところがないという記述から始まる。要するに元手がかからない仕事という意味だ。
厳密にいえばそれは事実ではない。取材費や資料代はけっして安くはないからだ。
それでも「売文」という仕事を「その同類」と最初に置く意味は、深いものがあると感じられる。
さらに結果よりも「過程」を大事にすること、過程の中に真実があること。ルポライターは「貧乏神を生涯の伴侶とし、火宅を終の栖(すみか)とする」ことなど。
「知的職業者のプライド」「ハングリー・ジャーナリズム」「有名への志向、出世間の欲求はもとよりない」など、この道を進む者からすると珠玉の言葉が散りばめられている。
さらに若者にむけた紹介の言葉として次のものがある。
「労多くして功少ないルポルタージュに価値と志を置く以上、君の人生は虚名や富と無縁」
「まずしくとも誇り高きこの職業の門をたたきたまえ。そうすれば君は、多様な豊饒な人間と社会の実相を、自在に探険することができる、時代を証言し記録する営為をになうことができる」
まさにそのとおりだ。私は“ルポライター”という名称は名乗らないものの、中身は同じようなものと感じている。

