昨日日本で公開されて3日目の『Black Box Diaries』という映画を劇場で見て、忘れないうちに記録しておきたい。

性暴行被害者の伊藤詩織氏が自身の体験を映画にまとめたもので自身が監督を務める。上映後の舞台挨拶で知ったが、もともと映画を撮りたい関係者が早い段階で「密着」しており、カメラを回し続けていた。そういう意味では映画を製作し、世に問うという方向性は早い段階から既定路線であったのだろう。

作品の早い部分で、TBSのワシントン支局長(当時)がホテル前でタクシーを駐車させ、酔いつぶれてすぐに降りることができなくなっていた女性を無理やり引きづり降ろすのに手間取るシーンが出てくる。

百聞は一見にしかず、とはまさにこのことで、この場面を見れば、事件の「真相」はすべて氷解すると思われるドキュメンタリーだ。この場面を役者を使って再現映像にすることなどありえないと率直に感じた。

作品では逮捕状をとったことを証言する警視庁警察官の発言が多く挿入される。結果的に逮捕状が執行されず、政治的な揉み消しが行われたとされる状況では「極めて重要な証言」として位置する。

また元代理人の女性弁護士が異議を申し立てている隠し撮りした音声の使用だが、注意して見ていたつもりだが加害男性が「不起訴相当」となった結果を電話で事務的に伊藤氏本人に伝える場面でしか使われていなかったように思う。弁護士の名誉を傷つけるような場面は感じられなかった。

さらにホテルのドアマンが個人的に伊藤氏にメールしてきて、当日の様子を赤裸々に応援する意思を伝える電話会話の映像も挿入される。そのとき、伊藤氏が(ほっとしてか)泣き崩れる映像は、やはりドキュメンタリーとしての強さだ。

加えて両親向けであろうが、これからもう自殺するしかないというような状況の場面で、これまでの生き方の申し訳なさを涙ながらに語るシーンがある。これも本人が置かれた精神的状況を浮き彫りにしてやまない。

映画の最後は民事訴訟の最高裁決定と、安倍元首相の銃撃日が重なるタイミングで終わる。時系列的にみれば、実際にそのとおりだったのだ。車の中で支援者の隣でダンスして喜ぶ場面が出てくるが、これもそのままの感情表現だろう。

日本社会に一石を投じた事件の一連の経過を示す貴重な記録であり、日本の男尊女卑社会に与えたプラスの影響は大きい。私はアメリカ公民権運動のローザ・パークス女史と重ねて観た。

なお、伊藤氏が告発から逃げることができなかった内面心情は、私の言葉でいえば、「人間の尊厳」を第一優先したことに尽きると感じる。

利害(告発することで受ける不利益の可能性)よりも、自身の尊厳、さらには未来を含む女性の尊厳に真摯であったという実感を強くする。

人間の尊厳を超えるものは何もない。この映画は人間が人間であることの証明を描いているものとして受け取った。

最後に仮に私に同じ年代の娘がいて、その娘が最初の記者会見を行うことを告げてきたらどうしただろうかと思わず考えた。伊藤氏の父親が反対した心情は痛いほどに伝わる。

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