私の場合はあまりないように感じられるが、スランプは突然襲ってくるものらしい。気分的なものが原因であることも多いが、ある日突然やる気が起きないといったものだ。

日蓮信徒である筆者にとっては、それは日々のお勤めである唱題量と関係する。あるいはその姿勢だ。これが疎かになると、仕事が困難になりがちだ。

昔指南を受けたある大手新聞のジャーナリストは「恥ずかしながら僕は1時間唱題しないといまでも文章を書けない」と語っていたことがあった。

その気持ちはよく理解できる。

私にとって「妙法のジャーナリスト」とは、日蓮の教え通りに唱題業を実践する物書きということになる。逆にそうしなければ、生命論的につづけられない職業分野とも感じている。

ただしこの感覚は個人差があるもので、特に信仰1世と2世以降とでは大きな開きがある。

これらの事柄を言葉で表現することはなかなか難しい。武術の原理を言葉や映像で伝えられないのと似たような関係にある。

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