第2代戸田城聖会長は政治に関する発言として「国家百年の大計」を残している。だが実際は、現状の公明党に関してもっとも相反する言葉となっている実態がある。
教団は公明党の議席を教勢のバロメーターとしてとらえ、同党の勝利が教団の勝利と錯覚しがちだ。その結果、「目先の勝利」を優先する流れが定着した。必然的に、政党側から「国家百年の大計」はフェイドアウトする。
次の選挙において有権者を引き付けるにはどうしたらいいかという短期的な発想が政治課題の中心になった必然的な結果ともいえる。
仮に「国家百年の大計」に徹した政治姿勢が“堅持”されていたとどうなったかと夢想する。
例えば(1)1970年代に始まる赤字国債の発行はありえなかった(2)処理技術が未確立のままの原発稼働もなかった、(3)少子化問題の未解決といった現状の政治の課題もとっくに解消されていたはずだ。
要するに現実の日本社会は大きく変わっていた可能性がある。
一方で短期的視点から上記のような政策に手を染めてしまった結果、日本は(1)G7で最悪の財政赤字国家に転落、(2)未曾有の原発事故を引き起こした後も原発再稼働を容認するといった教訓を知らない国家に成り下がり、(3)少子化社会となった結果、日本人だけで順送りする社会構成が不可能となり、一方で外国人の受入れにも非寛容で、にっちもさっちもいかない状態となってしまった。
以上はすべて、公明党(中道の旧公明党議員を含む)が戸田会長の教えを守らなかった“必然的な結末”であり、教団側からすると残念な結果としかいいようがないが、実際は教団側により大きな責任があることは明らかだ。
結論するに、公明党は「戸田会長の精神に還れ」が合言葉でなければ、こんご浮上することはありえない。

