12月30日に不破哲三氏が死去したことで大晦日の紙面はこの訃報記事で溢れた。各社とも有名人の死亡記事として事前に用意されていたものが一挙に出たという感じだった。
生前の記者たちとの関わりについてのエピソードが多く綴られた中で、唯一、現在の同党の閉鎖的な体質をピシリと指摘したのは私が見た限り、毎日新聞だけである。
2023年初頭、党首公選制を提案する書籍を発刊した2人が短期間で除名されたことに伴う、同党のスターリン的体質についてである。
私のこれまでの取材経験を踏まえた上での同党に対する認識は、党員は社会変革を志した善意の人びとの集まりであり、個人的にみれば「いい人」が多い。平たくいえば、「善良なる市民」といえる。
だが一つの統一された政党という形をとると、まったく別の顔を見せ始める。
最近ではそのわかりやすい象徴が2024年1月の党大会で田村智子副委員長(委員長に正式就任する直前の会合)が見せたパワハラ演説だった。
党指導部が打ち出した全体方針にそぐわない人間主義的な主張を述べた一代議員の発言をとらえ、その代議員への人格攻撃を行うとともに、田村氏は般若の形相で威圧的にそれを行った。その光景はネットで全国中継されるという尾ひれがついた。
要するに少数の意見を尊重しない。押さえつける。弾き飛ばす。その光景は、いまも同党内で全国的に展開されている。
かつて同党は遠い昔、全党一丸となって日本社会の転覆をめざし、暴力革命に邁進した時期があった。1951年から52年にかけてのころだ。
そのとき一人の警察官を殺害した事件について、私は取材し、一冊にまとめた。
その事件の過去の過ちについても、同党は党として真摯に謝罪した事実が過去にない。反対に「冤罪である」と、事実と正反対の自己保身の主張を繰り返し、対社会的にはウヤムヤにしてきたのが真相だ。
都合の悪い事実は闇に葬る。都合の悪い主張を行う人間はパージする。
この閉鎖的な体質が変わらない限り、同党は野党として存在することは許されても、政権与党に入ることは社会的には許されないだろう。
野党共闘を求められるこの政治的局面において、同党が政治の中心に入れないことは、残念なことではある。

