誤解を恐れずに申し述べれば、私は現在の公明党が立党精神を正しく体現した政党とは捉えていない。要するにどの時点かで“変質”してしまったと認識している。
それがどの時点かを、個人的にしばしば思い巡らせてきた。
結論からいえば、それは2012年から始まった第2次安倍政権以降のどの時点かだ。
個人的に明白な異変を感じたのは、やはり昨年の参院選だ。
ある候補者が自慢げに自分の関わった政策を吹聴する姿をネット上で目にした際、その内容がおよそ人権に配慮したものと見えなかった。
そこから個人的にこの問題を時間を使って「取材」することになった。
見えてきたのは寒々とした光景だった。
まずこの議員は当事者である人々に何ら聞き取り調査を行った形跡がなかった。
役所側の振付けにそのまま乗る形で、役所が満足するように動いたにすぎない行動だった。
同党にとって「現場第一主義」は立党以来のよき伝統と思っていたが、実態は大きく崩れているのではないかと感じたのは、私にとってはそれが最初の契機だ。
そしてその傾向はこの問題にとどまらなかった。
2022年末の防衛費倍増、さらには敵基地攻撃能力を認めるという憲法違反に同党が踏み込む際にも、これらと同じ体質が大きく作用しているように見受けられたからだ。
同じことは、原発再稼働の意思決定においても同様に言える。
わずか15年前、あれほどの惨事を経験したこの国で、その惨禍が忘れ去られたかのように、同党は原発の本格再開を政治的に意思決定した。
実は原発の問題はいまも多くが“情報統制”されている実態があり、国民に正しい情報が伝えられていないと認識されている。
健康被害も、実態はオープンにされていない。だが同党は自分の足で調べることもなく、安易な方向に走り始めた。
上記の福島県民を足蹴にするかのような行動は、沖縄に対しても同様に作用する。
沖縄の歴史を踏みにじるような日本保守党や参政党とともに、同一候補を中道3党の中で単独で支援するのが現在の公明党だ。
もはやこの党のどこに「大衆とともに」の精神があるのか、いまの私にははなはだ疑問である。
本質は、議員たちの内面から、大事なものが“崩落”してしまっている現状。
支援団体である教団側は、大きな「お荷物」を抱え込んだ状態にあると見ている。

