草創期の公明党は、支援団体のトップである池田会長がまだ30~40代と若かったこともあって、全国を精力的に回りながら主要な候補者は多くが一本釣りされ、その結果、全体の理念や適性、バランスが保たれていた。
現在との最大の違いがそこにある。現在は各方面で人選し、上げていくため、全体の戦略性に欠ける面が出てくる。
主要政党の中で同党の国会議員の女性占有率が「最低」であるのは、その弊害と私は見ている。
草創期と現在の最大の違いは、議員が「エリート化」したことだ。
当初は大学を出ていない人間すらいたが、基準の大きな要素は「信仰」であり、どこまでも大衆側に立つ資質があるかどうかを問われた。
現在は弁護士、公認会計士、税理士などのいわゆる「士」の仕事をはじめ、医者や国家公務員出身者など、肩書のしっかりした人物が優先して選ばれる傾向にある。
ただし、同党議員の資質にとって最も重要な資質が、大衆の側に立ちつづけられかどうかにあることはいうまでもない。
そのことはどういうことかといえば、大衆の側に立つ以上、役所や悪しき政治権力とはしばしば緊張関係をはらむということでもある。
つまり、大衆の利益より役所の利益を優先するような政治家は、同党にとっては有害無益という結論となる。
だが最近はこうした政治家がちらほらみられる。埼玉県選出の「矢倉克夫」(前法務部会長)はその典型だった。
社会的にはエリートであるが、その精神性が完全に権力に尻尾を振るタイプそのものだったからだ。
その結果、昨年の参院選では「不法滞在者ゼロプラン」という外国人弾圧政策を同党が推進するという“黒歴史”を刻むことになった。
人間主義の看板に泥を塗るような行為である。だが同党はいまだ何ら総括も反省も行っていない。
ミカン箱の中に腐ったミカンが一つあるとどうなるか。全体が蝕まれるのは時間の問題だ。
現在の同党はそういう状態にあり、その病いは重いと危惧している。

